中国の伝統的な芝居は何かと尋ねれば多くの人から「京劇」という答えが返ってくるだろう。ところがこの「京劇」、台湾ではつい最近まで存在しなかった。それどころか、あの京劇の名優と言われる梅蘭芳の全盛期の中国でもやはり「京劇」は存在しなかった。なぜか?「京劇」というのは「(北)京」の「劇」という意味だが、その「北京」が存在しなければ「京劇」という言葉も存在しないことになる。
「北京」は1912年に中国の地図から消えた。清朝を滅ぼした中華民国が皇帝の都を意味する「京」の字を嫌い、「平」に改めたのである。中国の地図には新しく「北平」という都市が登場することになった。京劇もこの時から「平劇」あるいは「国劇」と呼ばれるようになる。大陸では、49年に中華人民共和国が成立し「北京」の名が復活するが、それまでの37年の間「北京」そして「京劇」は封印された言葉だった。中華民国政府が逃れた先の台湾では、つい10年ほど前まで封印され続けた。16、7年前、中国に留学していた私や私の友人たちは、当時流行の北京バッグ(横腹に大きく「北京」と書いてある布製バッグ)を台湾に持ち込む際に「北京」という文字をマジックで消そうかどうか真剣に悩んだものだった。
「北京」「京劇」のように中華民国の成立によって封印された言葉もあるが、何と言っても中華人民共和国成立後に封印された言葉の方が圧倒的に多い。
例えば、人に呼びかける「先生」「小姐」は外国人への呼びかけ以外には使われなくなり、全て「同志」に取って代わられた。キリスト教の日曜礼拝をもとに1週間を呼ぶ 「礼拝一、礼拝二・・・礼拝六、礼拝天」も、宗教が迷信として退けられれば当然消えるべき言葉だった。これらの言葉は文化大革命の終結後、改革開放の風とともによみがえった。
私が留学していた80年代半ばは、まさに「先生」「小姐」の復権が始まった時期で、売り場のお姉さんに「同志」と呼びかけようか「小姐」と呼びかけようか、これまた毎回のように悩んだ。「同志」と呼ばないと返事をしてくれない人、「小姐」と呼ばないと返事をしてくれない人が混在していたのだ。今ではもうだれも「同志」とは呼びかけない。
さて、封印された言葉の中で最大のものはなにか?それは2つの国名である。台湾では「中華人民共和国」という7文字は決して口にできない言葉だった。大陸では「中華民国」という4文字は現実に存在しているものとしては、今でも口にできる言葉ではない。87年の戒厳令解除、91年の内戦終結宣言などを経て台湾では「中華民国」政府と「中華人民共和国」政府が政治実態としてともに存在するという立場を取ることになり、「中華人民共和国」という言葉がタブーではなくなった。これをより鮮明に表現したのが「両国論」である。しかし今後はこの言葉がタブーとなりそうな雲行きである。大陸では、「中華人民共和国」という一つの国家の中に2つの制度を持った地域が共存する体制、いわゆる「一国両制」のなかに台湾を取り込もうとしている。要するに両者はまだ同じ土俵に上がっていないわけで、49年から続く言葉の封印が完全に解かれるには、まだまだ時間がかかりそうである。
原載:Cat 2000年7月号