前号の早実通信では戦後の大きな節目の年であった1972年(今から50年前)を取り上げました。そこでも触れたように今年は沖縄復帰50周年に当たります。コロナ禍ではありましたが、高等部2年は当初の計画どおり沖縄教室を実施することができました。節目となるこの年に沖縄の地を訪れることができた高等部2年生の皆さんは、現地で様々なことを考えてもらえたのではないかと思います。
沖縄は1972年に日本に返還されましたが、イギリスの統治下にあった香港が中国に返還されたのは、それから25年後の1997年7月1日でした。その際にイギリスと中国の間で、50年間は香港の現状を変更しないという約束がなされました。25年たった香港の現状は皆さんがご存知のとおりです。領土をめぐる問題、人権をめぐる問題は25年、50年で解決できるものではありません。
1997年12月に京都で第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)が開催され、温室効果ガス(二酸化炭素など)の具体的な削減目標が定められました。この取り決めは「京都議定書」と言われています。これにより地球温暖化をストップさせる方向に世界全体が大きく動き出すことになりました。この会議は毎年開催され、今年も11月にエジプトで第27回会議(COP27)が開かれました。過去に大量の温室効果ガスを発生させることで経済成長を遂げた先進国と、現在経済成長の途上にある発展途上国との間の溝は深く、会議は紛糾し延長を重ねました。環境をめぐる問題も25年、50年で解決できるものではありません。
1980年代後半から90年代初めにかけて日本は株価や土地価格が高騰しバブル景気の時期を迎えました。実体を伴わない好景気だったため、90年代の前半にはバブルは弾け飛び、急速な景気低迷に向かいました。そして1997年から1998年にかけて北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一証券などの大手金融機関が相次いで破綻するという事態を迎えます。その後、一時的な景気回復はあったものの、景気低迷の状態は現在まで続いています。この時期のことを「失われた10年」「失われた20年」「失われた30年」と言うこともあります。
今年の11月はサッカーワールドカップの視聴のために夜更かしをした人も多いのではないでしょうか。実は日本チームがワールドカップ本戦に出場したのは1998年開催のフランス大会が初めてです。1997年11月のアジア最終予選でイランを下し、フランス大会への出場を決めました。日本中が熱狂しました。これ以降、今年開催されたカタール大会まで7大会連続で本戦に出場しています。しかし残念ながらまだ決勝トーナメントでの勝利はありません。
問題の解決、目標の実現には長い時間が必要なものが少なくありません。あきらめることなく努力を重ね続けることが大事なのだと思います。
来年の干支は兎(うさぎ)です。皆さんがそれぞれの目標の実現のための飛躍の年であること祈ります。
原載:『早実通信』212号(2022年12月)