先日の授業でちょっとした実験をしてみました。コースナビの通知機能を使って、授業中のある時間になると履修者全員にメールが届くように設定して授業に臨んだのです。授業が進みちょうど設定した時間になったと同時に、何人かの学生が下を向いたり、身じろぎし始めました。その後苦笑いをする顔があちこちに見えました。メールの中身は「どのくらいの人が、授業中にメールの確認をするでしょうか?確認した人は最後に提出する紙にその旨記してください」といったもの。
86名の出席者のうちコースナビの通知がケータイにも届くように設定してあった学生が30名前後、そのうち、授業中にメールを確認してしまったと記した学生は23名でした。実際にケータイにメールが届いた学生のうち7、8割がその場でメールの確認をしていたことになります。みなさんはこの人数を多いと思いますか、少ないと思いますか。
先程のメールはもちろん授業内容と無関係に送ったわけではなく、メディア、コミュニケーションをテーマとした講義の一貫として、ケータイによっていかに共有空間が蝕まれているかを考える材料として投げ込んだものです。多くの人が授業中であってもケータイにメールが届くと確認しないではいられないようですが、その瞬間に、皆さんは教室にいながら、心はメールの送り主とつながってしまい、授業から離脱してしまうことになります。
講義であれ演習であれ、大学の授業というものは、教員と学生が教室という一つの空間で90分という時間を共有することによって成り立つものです。これは単に物理的に同じ時間に同じ場所にいるというだけではなく、授業を介してその場にいる全員がつながっているということです。スポーツの試合やコンサートに行くと、会場全体で時間と空間を共有していることを実感することがあると思いますが、授業というものも本来はそのようなものであるはずです。そのためには、教員の側の努力はもちろんですが、学生のみなさんにも一定程度の努力をしてもらう必要があります。試合の観戦やコンサートにはそれなりに気合を入れて行きます。そして終わった後は疲れてぐったりします。良い試合、良いコンサートであればあるほどぐったり疲れます。授業もそんな感じでいきましょう。気合を入れて授業に出る。終わったら疲れ果ててぐったりする。もちろん教員も学生も。教育学部において、そのような濃密な時間と空間を共有できるような授業をみなさんと協力して作り上げていきたいと考えています。
そのための第一歩として、教室に入ったらケータイの電源を切る。ここから始めてみましょう。
原載:『がくぶほう』(早稲田大学教育学部 2009年1月)