村上 公一( むらかみ きみかず )
1.略歴(学歴もふくむ)
1956 年愛知県に4 人兄弟の末っ子として生まれる。名前が「公一」なのでよく長男と間違えられるが、本当は次男。名前の由来を両親に聞き損ねてしまった(両親ともにすでに鬼籍に入っている)。名古屋大学で大学、大学院生活を送る。大学院博士課程在学中に中国上海の復旦大学に 2 年間留学。1988 年に名古屋大学文学部助手、1990 年に福井大学教育学部助教授、1997 年から早稲田大学教育学部に。ICT 環境下での多言語間のコミュニケーションや外国語習得のあり方に関心がある。また、言語や文化の越境現象に興味を持っている。
2.教員から第1期新入生へひとこと
ゼロから始まる学科です。みんなでいっしょに学び格闘していく場を作り上げていきましょう。新しいことを始めるのはわくわくして、楽しいですよね。私は新しいことを始めるのが大好きです。持続力が足りないのが問題なのですが。みなさんは是非、4 年間このわくわく感を持ち続けてください。
3.これはぜひという本・映画・音楽
(1)これは読んでほしいという著作1冊
『竹内好セレクション I 日本への/からのまなざし ・ II アジアへの/からのまなざし』(竹内好著、丸川哲史・鈴木将久編、日本経済評論社)
私は個人の全集をあまり持っていない。大学に入り、20 代前半までに買った個人の全集は『三遊亭円朝全集』(角川書店、全 7 巻、別巻1)、『漱石全集』(岩波書店、新書版、全 36 巻)、『竹内好全集』(筑摩書房、全 17 巻)の 3 種。これが現在の自分自身の出発点のような気がする。
竹内好は魯迅の翻訳で有名な中国文学研究者だが、同時に、アジアから逆照射することにより日本の近代の意味を考え抜こうとした戦後の一時期を代表する一人の思想家でもある。最近再び脚光をあびつつあるようで、昨年末に上記 2 冊が刊行された。第一冊の冒頭に置かれた「屈辱の事件」は 1945 年 8 月 15 日の彼自身の回想である。「八・一五は私にとって、屈辱の事件である。民族の屈辱でもあり、私自身の屈辱でもある。」彼の言う屈辱とは何か。興味のある方は生協にも並んでいるので、手にとってみてください。
(2)これは観てほしいという映画1作品
侯孝賢監督『悲情城市』(台湾、1989 年)
台湾が 1895 年に中国(当時は清)から日本に割譲されたのはご存知ですね。日清戦争の結果です。当然のことですが「台湾民主国」独立宣言など抵抗運動が起きました。日本は軍隊を投入してこれらを鎮圧しました。その後 50 年間、台湾は「日本」だったのです。1945 年、敗戦と共に日本軍は去り、かわって大陸から勝者としての国民党軍がやってきます。当初は台湾の人々も国民党軍を熱烈に歓迎したのですが、国民党軍から見れば、長年「日本人」として暮らし、中国語もろくに話せない台湾の人々はまともな「中国人」ではなく、蔑視と搾取が始まります。ここから両者の衝突が起きます。国民党軍は武力で鎮圧し、そのまま弾圧へと進んでいきます。
『悲情城市』は 1945 年 8 月 15 日の玉音放送から始まります。その後の数年間の激動に翻弄され、悲しみの淵に沈み、それでもなお希望を求めて生きつづける一つの家族を描いています。美しい風景、音楽、そして二人の主人公の男女の沈黙の語らい(主人公の男性は聾唖者です)が印象に残る映画です。
(3)これは聴いてほしいという音楽1曲
黎錦光作詞・作曲、李香蘭唱『夜来香』
戦前の満州に李香蘭という一人のアイドル女優がいました。彼女の演じる抗日の少女は、毎回かならず、日本人男性と出会い、恋に落ち、やがては抗日の心を融かされていくのです。その後、上海に移り住んだ李香蘭は中国人監督の映画に出るようになり、一躍大スターになっていきます。その彼女が歌った『夜来香』。
1945 年初夏、上海で開かれたリサイタル『夜来香幻想曲(ラプソディー)』は熱狂的なものでした。その 2 ヵ月後に 8 月 15日がやって来ます。李香蘭、実は日本人だったんですね。日本に帰国した彼女は山口淑子として今度は日本語で『夜来香』を歌います。「あわれ春風に 嘆くうぐいすよ、、、」。2月中旬に上戸彩主演の 2夜連続テレビドラマ『李香蘭』やってましたね(みなさん受験でそれどころではなかったですか)。
4.研究室のモットー
モットーは私一人で作るものではなく、研究室に集う学生諸君が作り上げていくものだと思っています。新しい組織ができれば新しいモットーが生まれる。みなさんとの間でどのようなモットーが形づくられていくか、楽しみにしています。
原載:『複合文化学通信』第8号 新入生歓迎号 2007年4月1日