週に三回、一限の授業がある。六時過ぎに起床し、朝食をゆっくりとる。八時三十分ぐらいに高田馬場に着く。ここでちょっとした逡巡がある。歩いて行くか、バスに乗るか。歩いて行く方が身体にもいいし、節約にもなるというのは分かっているのだが、決まったように足はバス停に向かってしまう。バスの中からぼんやりと外を眺めれば、歩いて大学に向かう学生諸君の姿が目に入る。

五木寛之のエッセーに、高田馬場から学バスに乗っている時、歩いて大学に向かう先生と目が合い、身のおき所がなくて、もじもじしてしまったという話があるが(『風に吹かれて』「横田瑞穂先生のこと」)、信号待ちなどで、知っている学生と目が合ったりすると、やはり少し後ろめたいようなどぎまぎした気分になる。

大学に着くと、清掃スタッフの方たちがちょうど朝の掃除の片づけをしている。彼らのおかげで、前日にいくら汚れていても、翌朝にはゴミ一つない状態に戻っている。

研究室で心を授業モードに切り替えたあと教室に向かう。教室の黒板も丁寧に拭かれていて、チョークの粉なども残っていない。窓からは明るい朝の光が差し込んでいる。

授業を始めるには申し分のない環境かと思いきや、教室の中はなぜかどんよりしている。学生の多くは赤い目をこすったり、机に突っ伏したり、中にはオール明けとおぼしきうつろな表情の者もいる。このどんよりした空気を一掃し、教室全体を授業モードに切り替えるのに毎回一苦労する。一限授業の唯一の欠点である。

*2009年当時は1コマ90分授業で、1限は9:00開始。